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鵞鳥湖の夜(南方車站的聚会/THE WILD GOOSE LAKE)(2019年・中国映画)

2020(令和2)年5月11日記

『薄氷の殺人』(14年)で、第64回ベルリン国際映画祭の金熊賞と銀熊賞をゲットした、中国第6世代監督・ディアオ・イーナンの最新作に注目!しかし、本作の舞台になる鵞鳥湖って、どこにあるの?また、時代は?

武漢は新型コロナウイルス騒動で一躍有名になり、トランプ大統領の罵倒の対象になったが、大都市・武漢周辺の城中村とは?その再開発は?そこにたむろする“陪泳女”とは?

日本のヤクザと同じで、中国の黒社会の男も幸せとは無縁。バイク窃盗団のグループ間抗争の中、警官殺しの罪を犯してしまった主人公の逃亡劇は?そして30万元の懸賞金の受領者は?

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この邦題はどう読むの?原題は?英題は?

私は本作をDVDで一度鑑賞した後、劇場で何度も予告編を見たが、そこでは「孤独に溺れて、闇夜を彷徨う―。」をキャッチフレーズにしたフー・ゴー扮するチョウ・ザーノン版と、「愛に泳いで、闇夜を彷徨う―。」をキャッチフレーズにした、グイ・ルンメイ扮するリウ・アイアイ版の2種類がある。また、予告編と同様に、本作のチラシも、チョウ版とアイアイ版の2種類がある。そして前者では、「中国南部のとある果ての地―。湖のほとりの、ネオンと銃声と女の街で。」と、後者では「中国南部のとある果ての地―。湖のほとりの、ギャングと娼婦と雨の街で。」と書かれており、両主人公の印象的な姿が大映しされている。

本作は『薄氷の殺人』(14年)(『シネマ35』65頁)、(『シネマ44』283頁)で、第64回ベルリン国際映画祭の金熊賞と銀熊賞をゲットした、中国第6世代監督・ディアオ・イーナンの最新作だが、暗い画面で犯罪がらみの訳アリ主人公の登場という、いわゆるフィルム・ノワール調は前作も、本作も同じだ。しかし、そもそも、邦題とされている「鵞鳥湖」はどう読むの?チラシでは「がちょうこ」とひらがなルビを打たれているから読むことができるが、これがなければ国語力の劣った今ドキの日本人はこれを読めないのでは?

これは、英題の『THE WILD GOOSE LAKE』を採用したうえ、そこに「夜」をつけ加えたものだが、原題は『南方車站的聚会』。これは日本人でも読める中国語で、「南方の駅での集まり」と言う意味だが、この「南方の駅」とは一体どこ?まずは、そんな興味がふつふつと湧いてくることに・・・。

武漢三鎮、その城中村は?その再開発は?

本作の原題は『南方車站的聚会』だが、実際には武漢で撮影されたらしい。そのため、『薄氷の殺人』に続いて、ディアオ・イーナン監督が起用した台湾人女優・グイ・ルンメイは早々に台湾を離れて武漢に入り、実際にそこでの生活に入り込む努力をしたらしい。武漢は新型コロナウイルス騒動以降、世界的に有名な都市となり、トランプ大統領からは「武漢ウイルス(中国ウイルス)」とボロクソに攻撃されているが、武漢は中国大陸中心部に位置する大都市だ。

本作のパンフレットには藤井省三(名古屋外国語大学教授・東京大学名誉教授)の「大都武漢の“城中村”を舞台とする裏切りと情愛の物語―中国の“黒色電影”『鵞鳥湖の夜』を読む―」と題するコラムがあり、そこでは「中国第一の大河長江に北西から漢江が合流する三叉には古来政治の都武昌、商都漢口、産業都市漢陽が栄え、この武漢三鎮は1949年中華人民共和国建国時に合併、現在では人口1100万、面積8600平方キロ(東京は1400万人、2200平方キロ)の中国中部最大の都市として繁栄している。」と紹介されている。

本作冒頭には、誰かをずっと待っている男・チョウに、アイアイが「お兄さん、火を貸して」と言いながら近づいてくるシークエンスが登場するが、どうもここが“南方車站”らしい。しかし、私が2012年8月に人口769万人の安徽省の合肥を訪れた時、私は合肥駅の巨大さに驚かされたから、人口1100万人の武漢駅はさらに大きいはず。したがって、本作冒頭の「南方車站」のシークエンスが武漢駅で撮影したものでないことは明らかだ。すると、この駅の正体は?それは藤井コラムを読めば明らかになる。本作の舞台は武漢と言っても、その実は、「城中村(“城”は中国語で都市の意味)と称される都市周縁部の旧農村、すなわち都市化途上地域であり、行政の網から洩れたこの半無法地帯」なのだ。なるほど、なるほど…。

 
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フィルム・ノワール?いや、中国では黒色電影!

“フィルム・ノワール”と言う言葉は、『映画検定公式テキストブック(キネマ旬報映画総合研究所編)』には、「フランスの評論家ニノ・フランクがアメリカの犯罪映画の中でも、『マルタの鷹』(41年)のように男女の欲望、陰謀、心理、不安に根差したものを特に“黒い映画(Film Noir)”と名付けたことに由来しているが、アメリカの作品にも使う。フランスでも多くの監督が撮っているが、なかでもジャン=ピエール・メルヴィルの『サムライ』(67年)などが有名。」(190頁)と書かれている。日本のヤクザ映画はフィルム・ノワールとは言わないし、本作もそうは呼ばないが、フィルム・ノワール調と呼ばれている。

他方、中国では“武侠映画”が1つのジャンルを成しており、“渡世人”を主人公にした、ジャ・ジャンクー監督の『帰れない二人』(18年)(『シネマ45』273頁)も、武侠映画の一つだ。しかし、藤井コラムによれば、本作の主人公チョウは“渡世人”ではなくハッキリ“黒社会”の男。そして、もう一方の主人公であるアイアイは“陪泳女”の女だ。そして、チョウとアイアイの出会いに続いて展開される回想(フラッシュバック)シーンでは、バイク窃盗団の一方のボスだったチョウが猫目・猫耳兄弟たちと縄張り争いをくり広げる中、警官殺しの罪によって、今は30万元の懸賞金がかけられているストーリーが描かれていく。チョウの妻・ヤン・シュージュン(レジーナ・ワン)は5年間も姿を消している夫に愛想を尽かして中古家具修理工場で働いているから、冒頭のシークエンスはチョウが、そんなシュージュンを待っているものだったらしい。

フランスではこんな映画も“フィルム・ノワール”と呼ぶのかもしれないが、中国ではこれは“黒色電影”だ。なるほど、なるほど・・・。

この男はなぜ逃亡?その懸賞金は30万元!

『薄氷の殺人』は、原題の『白日焰火』通りの真っ白なスケート場とスケート靴、そして白色の花火が印象的だった。それと対比するかのように、本作の前半では、暗いスクリーン上に浮かび上がるバイクのヘッドライトが印象的だ。

ジェームス・ディーン主演の名作『エデンの東』(55年)では、無鉄砲な若者が車に乗って競うロシアン・ゲームが印象的だったが、本作では、対立する窃盗団グループが一定時間内に何台のバイクを盗めるかの競争で、島分けを決めようとした中での、黒社会ぶりが印象的。とりわけ、張られたロープで、バイクを疾走させる“金髪”の首が吹っ飛ぶシーンにはビックリ。

そんなグループ間の抗争の中で殺されかけたチョウがやむを得ず銃で対抗している時、自分の判断ミスによる警官殺しによって、30万元という高額の懸賞金をかけられることに。本作では、リウ警部(リャオ・ファン)が率いる警官たちの組織的な(?)犯人捜索活動も面白い。30万元という金額は、一般人はもとより、窃盗団の面々にも魅力的だから、かつての仲間たちも懸賞金欲しさにチョウを追うことになるが、そうなると、誰が警察官で、誰が黒社会の男かわからなくなってくるのも、本作のミソだ。

包囲網が狭まる中、妻のシュージュンに通報させることによって懸賞金をシュージュンに渡そうと考えたチョウは、そのためにシュージュンに会おうとしていたのだが、チョウの意図がきちんと伝わっていなかったためか、シュージュンはチョウの居場所を警察官に通報したらしい。そんな混乱の中、冒頭のシークエンスで、アイアイはチョウに、「奥さんは来ないわよ。」と伝えにきたわけだ。しかし、いきなりそんなことを言われても、この女、信用できるの・・・?

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鵞鳥湖周辺の再開発は?“陪泳女”とは?その料金は?

都市問題をライフワークにしている私は、中国旅行の際も再開発の実態に注目したし、新聞紙上でもそのニュースを集めている。北京での胡同(フートン)の取り壊しに伴う再開発は如何なもの?そう思わざるをえないが、北京市内はもとより、多くの地方都市で展開されている再開発のスピードには目を見張るものがある。しかして、本作でも、鵞鳥湖周辺、すなわち“城中村”での再開発の完成図を示した看板を見ると、その威容に驚かされる。中国ではこれが、3~5年の間に次々と完成するのだから、すごい。

他方、2012年と時代設定されている本作で、鵞鳥湖周辺に“陪泳女”と呼ばれている売春婦がうようよしていることにビックリ。これは、「武漢は水域面積が全市の四分の一を占め、市内周辺部には大きな湖がいくつも点在している」ためだが、こんな公然とした売春行為に対する当局の取り締まりはどうなっているの?

冒頭で運命的な出会いを果たしたチョウとアイアイは、本作ラストに至るまで劇的な逃避行を続けていくが、その中では鵞鳥湖上のボートの上でしっかり愛を交わす(商売をする)シークエンスもある。“陪泳女”たちはみんな水着だから、“いざ、お仕事”の時には便利だが、彼女たちの仕事にはどんなコースがあるの?また、その料金はHow much?コトが終わった後のいかにも満足したチョウの姿や、口に溜まったものを吐き出し、湖の水で口をゆすぐアイアイの姿を見ていると、“陪泳女”のサービスはかなり満足できるもののようだが・・・。

日本ではヤクザにも美学が!だが、中国の黒色電影は?

日本のヤクザ映画は、深作欣二監督の『仁義なき戦い』(73年)以降、鶴田浩二、高倉健らの「任侠路線」から、「実録路線」に転換した。実録路線では、登場人物たちは次々に惨殺されていく運命だが、任侠はそうではなく、そのラストではきっちり義理を果たした後、一人で警察に自首して行く主人公の美学が光っていた。しかして、中国第6世代監督ディアオ・イーナンが描く“黒色電影”のラストは、日本の「実録路線」と同じだから、それに注目!

他方、『薄氷の殺人』では、ラストの「白昼の花火」の美しさにビックリさせられたが、それをどう解釈するかは難しかった。それに対して、本作ラストでは、30万元を警察主催の表彰式で受け取るアイアイの姿が描かれる。表彰式終了後に、リウ警部が「この懸賞金を何に使うのか?」と質問をするのはいらざるお節介だが、警部の車に乗せてもらっていたアイアイが銀行に入ったのは、とりあえず30万元の現金を銀行口座に入金するため。誰もがそう思ったが、しばらくして銀行から出てきたアイアイが待ち合わせをしていた相手とは・・・?

本作でチョウの妻・ヤン・シュージュン役を演じたレジーナ・ワンは、「上海戯劇学院卒業。80年代生まれの中で最もパワフルな中国本土出身の代表的女優の一人。」と紹介されている。調べてみると、そんな彼女は『軍中楽園』(14年)(『シネマ42』237頁)で、私が「すごい美人の“侍応生”が登場してる」と紹介した女優だった。レジーナ・ワンの本作での出番はグイ・ルンメイに比べると圧倒的に少ないが、その少ない出番では、相当な存在感と美しさを見せている。しかして、ディアオ・イーナン監督にしては少しおしゃれな(?)本作のラストは・・・?

2020(令和2)年5月11日記