Responsive image

小城之春(中国映画・1948年)

鑑賞 2004(平成16)年6月27日
書く 2004(平成16)年6月28日記

張藝謀監督ら多くの映画人から中国映画ベスト1と言われていながら、長い間「封印」されていた、1948年製作の『小城之春』が大阪で初公開。やはり人間を描いたドラマはいい。そのリメイク版である田壮壮監督の『春の惑い』(02年)と対比して観れば、なおさら興味深いこと確実!

中国映画の全貌 2004 の開催

img_06

1984年製作の費穆(フェイ・ムー)監督の名作『小城之春(こしろのはる)』をはじめて観ることができた。この映画は、シネ・ヌーヴォで、2004年6月19日~7月30日まで開催されている「中国映画の全貌2004」を記念して、東京国立近代美術館フィルムセンターからの提供を受けて、コミュニティシネマセンター大阪主催で6月26、27日の2日間だけに限定して特別上映されたもの。この『小城之春』は、1948年の製作以来、中国では上映することができず、1983年にはじめてイタリアで上映されてその価値が見直され、1984年に至ってやっと中国で上映されたといういわくつきのもの。そして1982年に北京電影学院を卒業した陳凱歌、張藝謀、田壮壮の第5世代監督がこれを観て大きな衝撃を受け、張藝謀をはじめとする多くの映画人が中国映画のベスト1にあげている名作。

なぜこの映画は「黙殺」されたのか

 この映画は、中国から日本軍を追い払った戦争直後の1946年を時代背景とし、旧地主や知識層を主人公とするもの。また抗日戦争の英雄とか新中国建設への闘いとか、共産主義イデオロギーをうたいあげるその時代の多くの中国映画とは全く異質のもの。すなわち、病弱の旧地主の夫を世話している人妻が、かつての恋人の出現に驚くとともに、その中で思い悩むこの人妻の気持を中心に描いた物語だ。

このような心理ドラマ、もっとはっきり言えば「不倫ギリギリ」の人間ドラマが、1948年につくられたこと自体が驚きだが、1949年10月1日の中華人民共和国成立後、このような映画が黙殺され、長い間、日の目を見なかったのも、ある意味当然のことだろう。

私は、あえて「不倫ギリギリ」の人間ドラマと書いたが、後述の『春の惑い』のパンフレットにおける、佐藤忠男氏の「『小城之春』から『春の惑い』へ」によれば、この映画は、単なる人妻の不倫とか切ない別れのロマンスというものではなく、儒教道徳からいきなり社会主義思想へ突入した中国社会の中で、個人主義や社会的モラルを真正面から問う作品だと分析されている。

img_01

『春の惑い』は『小城之春』のリメイク版

陳凱歌、張藝謀らと並ぶ第5世代監督の田壮壮が、1993年の『青い凧』以来10年間の沈黙を破って2002年に完成させたのが『春の惑い』。これは1948年の費穆監督の『小城之春』のリメイク版だ。両者を比べてみるとそのストーリーは全く同じだし、その舞台となる広大なお屋敷や少し小高いところにある城壁跡も同じ。さらに病弱の夫戴礼言(タイ・リーイエン)とその妻玉紋(ユイウェン)、そして礼言の妹の秀(シウ)が住むお屋敷を、礼言の友人の章志忱(チャン・チーチェン)が10年ぶりに訪れたことから始まる微妙な心理ドラマ、人間ドラマも全く同じ。したがってこの両者の「出来具合」を対比してみれば面白いだろう。

 
img_02

両者の違いは?

1つはっきり違うのは、この『小城之春』は玉紋の声によるナレーションが入っていること。当然これによって、微妙に揺れ動く玉紋の心理状況がよくわかる。ナレーションのない『春の惑い』は、淡々と描かれていくストーリーの中から、玉紋や礼言そして志忱らの心のアヤを読みとらなければならないことに比べるとその違いは歴然。1948年という時代においては、これくらいのナレーションがなければ、当時の中国人の感覚では、この映画が描く複雑な人間心理のドラマは理解できなかったのかもしれない。しかし今の時代の私の感覚では、ナレーションなしの方が作品に深みをもたせていると思うが、どうだろうか・・・?

もう1つ面白い違いは、『春の惑い』で小道具としてさかんに使われていた玉紋のハンカチ。ヒラヒラと風に舞って飛んでいくハンカチや、木の枝に引っかかったそれを拾いに行く志忱など、さまざまなシーンでハンカチが象徴的な小道具とされていたが、『小城之春』ではそんなシーンは全くない。これは田壮壮監督のオリジナルな工夫だ。

もう1つは、礼言が自殺を図るケースにおける、睡眠薬の取り扱い方。これは是非、読者それぞれが両者を見比べて、その評価を下してもらいたいものだ。

img_03

蘭の鉢植えの意味するものは・・・?

なお、この映画上映前の説明を聞いてはじめてわかったことは、蘭の鉢植えの意味するもの。すなわち、礼言の屋敷に滞在することになった志忱の部屋に、玉紋が最初の晩に届ける蘭の鉢植えの花は、セックスを連想させるものだということ。なるほど、なるほど・・・、と深く納得・・・?

img_04

シネ・ヌーヴォに感謝

  シネ・ヌーヴォの「中国映画の全貌2004」の企画のおかげで、私は「お蔵入り」とされていた1948年の費穆監督の『小城之春』を観ることができたし、『春の惑い』と対比することもできた。これは私の最近の映画評論活動にとっても大きな成果。シネ・ヌーヴォに感謝!


2004(平成16)年6月28日記