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淪落の人(淪落人/STILL HUMAN)(2018年・香港映画)

2020(令和2)年4月13日記

「車椅子の主人公」と聞けば、フランス版『最強のふたり』(11年)を思い出すが、新人女性監督による香港版「最強のふたり」が本作。但し、車椅子の中年男は「淪落人」だし、お相手は広東語もしゃべれないフィリピン人の住み込みメイドだから、なぜこの2人が「最強のふたり」に?

本作のテーマは、岡村孝子のヒット曲と同じく『夢をあきらめないで』。高価な一眼レフがなぜケチな淪落人からの誕生日プレゼントに?そして、夢を持ち続けたらメイドの人生はどのように開けていくの?

カンヌ受賞作のクソ難しい映画もいいが、たまにはこんなシンプルながら、涙がどっとあふれ出る佳作もいいもの。但し、教養のない今ドキの若者には、白居易の『琵琶行』をしっかり読み込んでもらいたい。

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陳果も黄秋生も有名だが、陳小娟は?新人女優は?

本作を製作した陳果(フルーツ・チャン)は『メイド・イン・ホンコン』(97年)(『シネマ44』206頁)、『ドリアン ドリアン』(00年)、『ハリウッド★ホンコン』(01年)(『シネマ5』286頁)等の監督として超有名。また、本作で主演した俳優・黄秋生(アンソニー・ウォン)も『インファナル・アフェア』(02年)(『シネマ5』333頁)、『インファナル・アフェア~無間序曲~(INFERNAL AFFEAIRSⅡ)』(03年)(『シネマ5』336頁)、『インファナル・アフェアⅢ/終極無間』(03年)(『シネマ7』223頁、『シネマ17』48頁)等で超有名。しかし、自ら書いた脚本で本作の初監督としてデビューした女性・陳小娟(オリヴァー・チャン)とは?それは、パンフレットのPRODUCTION NOTESで詳しく紹介されている。陳小娟は、2017年の第3回“劇映画初作品プロジェクト”の資金援助を受けて、自らの構想を映画化することができたが、その最大の要因は、本作の企画にほれ込んだ黄秋生がノーギャラで出演(主演)してくれたこと。人生どこに幸せが転がっているかわからないことがこの陳小娟監督の例からわかる。

他方、小さな物語である本作のもう一人の主役になったフィリピン人の若い住み込みメイドであるエヴリン・サントス役を演じたクリセル・コンサンジも本作が映画初出演。ヒロイン役選びには9か月近い時間がかかり、大変苦労したそうだが、300人以上が参加したオーディションでこの女性が一瞬にして監督の目を捉えたらしい。大物俳優・黄秋生の出演料がゼロなら、映画初出演の新人女優クリセル・コンサンジの出演料も格安だったことは確実だ。しかも、本作の舞台は香港のオンボロ団地(?)たる愛民団地(愛民邨)であり、室内シーンは華富団地(華富邨)の荒れ果てた幼稚園内にセットを組んで撮影したそうだから、それもきっと格安。そんな条件なら、陳小娟監督が限られた資金の中で本作を完成させることができたのは当然だ。

そんな本作が第13回アジア・フィルム・アワードでは最優秀新人監督賞を、第38回香港電影金像奨では最優秀新人監督賞を受賞したが、それは一体なぜ?

『最強のふたり』との異同は?かたや大富豪!本作は?

「車椅子に乗った主人公」と聞けば、すぐに大ヒットしたフランス映画『最強のふたり』(11年)を思い出す(『シネマ29』213頁)。同作は「首から下が麻痺した大富豪とスラム育ちの黒人青年が「最強のふたり」になるという摩訶不思議な物語だったが、同作のキーワードは同情していないことだった。同作でスラム育ちの黒人青年役を演じたオマール・シーが、『アーティスト』(11年)(『シネマ28』10頁)を押しのけてセザール賞の主演男優賞を受賞したのはなぜ?同作の評論で私は、「「本音」が「建前」を駆逐していく人生ドラマとそこから生まれる「爽快感」を、是非本作で!」と書いたが、その意味は?

本作も黄秋生扮する車椅子の主人公・梁昌榮(リョン・チョンウィン)とフィリピン人の住み込みメイドのエヴリンが「最強のふたり」になっていく物語だから、フランス版と基本軸は同じ。しかし、よくよく見ると、さまざまな相異点も!その第1は、車椅子の主人公がフランス版は大富豪であるのに対し、本作は一人で愛民団地に住む貧乏老人であること。彼が車椅子生活になったのは交通事故によるもの。彼は今、その賠償金で細々と生活しているらしい。もっとも、大学の卒業を間近に控えた立派な一人息子・梁俊賢(リョン・チュンイン)(黄定謙(ヒミー・ウォン))がいるものの、離婚した妻は再婚し、息子は今その両親と共にアメリカに住んでいるから、梁昌榮とはチャットで対話するのがせいぜいだ。

相違点の第2は、フランス版では「宝石強盗で半年間服役した前科者だから気をつけるよう」にアドバイスされたにもかかわらず、大富豪がそんな黒人青年を雇ったのは、「彼は私に同情していない。そこがいい。」という明確な理由があったのに対し、本作のエヴリンはたまたま職安(?)から紹介された家政婦に過ぎないことだ。したがって、冒頭に登場するバス停でのお迎えのシークエンスを終えて自宅に戻ると、エヴリンが広東語をしゃべれないことを知った梁昌榮はビックリ!「これでは約束が違う」と文句の電話を入れたほどだ。したがって、梁昌榮とエヴリンの当初の関係は「最強のふたり」ではなく、「手探りのふたり」だった。

陳小娟監督が本作の脚本を書くについては、自分が車椅子生活の母親を介護した体験があったことと、ある日、後ろにフィリピン人女性が乗り、中年男性が座る車椅子が路上を走り去っていく時、彼女の長い黒髪が風になびいていた風景を見てインスピレーションが湧いたこと、らしい。しかして、陳小娟監督は、本作でそれをいかに演出?フランス版との対比は不可欠だが、このような相違点はしっかり確認しておく必要がある。

 
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淪落の人とは?なぜ、それをタイトルに?

本作の原題は『淪落人』、邦題は『淪落の人』だが、これって一体ナニ?他方、英題は『STILL HUMAN』だが、これも一体ナニ?わかったようなわからないような・・・。そもそも、この漢字を「りんらく」と読める人はどれくらい?その意味がわかる人はどれくらい?そして、その出典がわかる人はどれくらい?本作は香港映画だが、この漢字を見ていると、日本語のルーツが中国大陸にあることを改めて実感!

今ドキの教養のない大学生でも中国唐代の詩人・白居易(白楽天)の名前くらいは知っているだろうが、「淪落の人」は彼が816年、45歳の時に作った長編叙事詩『琵琶行』の一節にある言葉だ。その詩の全貌と「淪落人」の意味については各自しっかり勉強してもらいたい。なお、国語辞書によると、「淪落」とは「落ちぶれること。落ちぶれて身をもちくずすこと。」であり、その典型的な使い方は「淪落の淵に沈む」とされている。『琵琶行』で使われている「淪落人」の意味もそれだが、陳小娟監督はなぜそんな“後ろ向きの言葉”を本作のタイトルに?

私も目撃した香港のフィリピン人メイドの生態は?

島国ニッポンでは2020年の今日でも、外国人労働者の受け入れはまだまだ不十分。しかし、国際都市・香港では、香港がイギリスから中国に返還された1997年当時から住み込みのフィリピン人メイドは有名な存在だった。私は返還直後の1997年6月に香港旅行に行ったが、そこではレストランやカフェの中ではなく、道端のダンボール箱で囲った空間に座り込んでおしゃべりをするフィリピン人メイドたちの集団を至るところで目撃した。彼女たちは休日になるとそこに集まって情報交換をし、雇い主の悪口を語り合うのが楽しみだったらしい。ところが、香港のそんな風物詩(?)はこれまで映画に登場していなかったため、そこに目をつけた陳小娟監督は、エヴリンたちフィリピン人住み込みメイドの生態を本作に描きあげた。

ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』(19年)がカンヌ国際映画祭のパルムドール賞に続いて、第92回アカデミー賞の作品賞、監督賞等を受賞したことによって、韓国社会の「格差」が世界中に注目された。「日本の格差」は前年のカンヌ国際映画祭でパルムドール賞を受賞した是枝裕和監督の『万引き家族』(18年)(『シネマ42』10頁)でも描かれていたが、香港の格差はこのフィリピン人住み込みメイドの生態を見ればよくわかる。交通事故によって「淪落人」になってしまった梁昌榮ですら、当初は広東語がしゃべれないエヴリンのようなフィリピン人メイドに対する差別意識が顕著だったが、自分は英語がしゃべれないことを棚に上げてのこの言い分はないはずだ。

本作では、陳小娟監督のそんな問題意識もしっかり把握したい。

テーマは夢。あなたの夢をあきらめないで!

住み込みメイドの給料はHow much?それは知らないが、食材の買い出しにすら1つ1つレシートをチェックしている梁昌榮だから、給料は相場もしくはそれ以下のはず。だとすると、自分の将来の夢は女流カメラマン!エヴリンがいくらそう思っていても、そのための勉強はもちろん、一眼レフの購入も不可能だ。もっとも、『娘は戦場で生まれた』(19年)を観れば、今はスマホでいくらでもドキュメンタリー映画にする映像を撮ることができる時代だが、カメラマンを目指すにはやっぱり写真撮影の基礎から勉強し、実践しなければ・・・。

本作中盤は、部屋の隅々まで行き届いた掃除ができないエヴリンに対して不満を持ちながらも、梁昌榮が片言の英語をしゃべり始める中で、徐々に互いの交流を始めていく2人の姿が描かれる。もちろん、四六時中狭い部屋の中で男と女が暮しているのだから、そこで「変な問題」が起こる可能性もあるが、本作はそんな問題提起をする映画ではなく、本作のテーマは夢。私は、岡村孝子が歌った1987年のヒットソング『夢をあきらめないで』が大好きだが、まさに本作はそれだ。

本作は小さな映画で、登場人物は基本的に梁昌榮とエヴリンの2人。それ以外に梁昌榮の家に出入りするのは、梁昌榮の友人の張輝(チョン・ファイ)(李璨琛(サム・リー))と梁昌榮の妹の梁晶瑩(リョン・ジンイン)(葉童(セシリア・イップ))だけ。元同僚だった張輝は今もずっと梁昌榮に親切で、何かと梁昌榮の手となり足となってくれているうえ、さまざまな悩み相談にも応じ、適切なアドバイスをしてくれていたから貴重な存在だ。しかして、エヴリンの誕生日を控えて、梁昌榮が張輝に頼んだのは一眼レフの購入。梁昌榮がエヴリンに与えたのは愛民団地の細長い3畳程の部屋だが、所詮持ち込んだ全財産が大型のスーツケース1つだけだから、何とかなるもの。当初は「まるで避難所(シェルター)!」と自嘲混じりにスマホで撮った写真をSNSにアップしていたが、念願の一眼レフが手に入れば、いくら狭い香港でも撮影場所や撮影対象は山ほどあるから世界は広がるはずだ。そんな誕生日プレゼントを企画した梁昌榮と、現実にカメラ店で一眼レフを購入してきた張輝、そして本日めでたく22歳の誕生日を迎えたエヴリン。この3人だけの誕生日パーティーとそこでのプレゼント授与風景を見ていると、不覚にも私の目には大粒の涙が・・・。

“ある誤解”をどう克服?雇い主の選択は?

映画には起承転結が必要だし、ハッピーとアンハッピーの明暗、メリハリも不可欠だ。そこで、陳小娟監督の脚本で用意した、“ある誤解”は一眼レフの喪失。もちろん、エヴリンがホントに大切なカメラを失うことは考えられないから、これはエヴリンがついた悲しいウソのはずだが、それは一体なぜ?「ホロコーストもの」の名作『ライフ・イズ・ビューティフル』(97年)では、「これはゲームだよ」との嘘が(『シネマ1』48頁)、『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』(99年)では「ロシア軍がすぐ側に来ている」との嘘が(『シネマ1』50頁)涙を誘うポイントだったが、本作ではなぜエヴリンは「カメラを失った」とウソをついたの?それはあなた自身の目で確認してもらいたいが、エヴリンがあの一眼レフを現金に換えてフィリピンの母親宛に送金したことは、内々の調査(?)で既に判明していた。すると、「こんなメイドはこれ以上雇えない。クビだ」と考えるのも当然だが、さて、梁昌榮の選択は?

『インファナル・アフェア』での黄秋生も、単なる武闘派ではなく相当の知恵者だったが、本作で黄秋生が演じる「淪落人」も相当な知恵者だったことが、そんなストーリー展開の中で見えてくるので、そんな脚本とそんな演出に注目!一定期間は口もきかない状態の2人だったが、ある日、洗濯をしていたエヴリンが洗濯かごの中に発見したものとは・・・?不覚にも、ここで私は再び大粒の涙が・・・。

淪落人からの脱皮は如何に?黄秋生に敬服!拍手!

パンフレットの監督インタビューで、陳小娟監督は「『愛や欲望、夢など、人生における美しいものを抱く権利は、誰にでもあるのでは?』と問いたかった」と語っているが、本作は多くのカンヌ受賞作のようなクソ難しい映画ではなく、極めて単純かつストレートにそれをアピールしている。本作に見る「あなたの夢をあきらめないで」の主体はあくまでエヴリンだが、それを理解し応援するのは、愛民団地に住む車椅子の「淪落人」梁昌榮だ。フランス版「最強のふたり」は車椅子の男の“財力”が面白いネタだったが、本作では、社会の底辺を生きている車椅子の男・梁昌榮がエヴリンへの応援を通していかに「淪落人」から脱皮していくかが面白いネタになる。ノーギャラでも俺がこの役をやる!そんな決意で臨んだ俳優・黄秋生の心意気や良し!そして、その演技や良し!

2020年1月30日付朝日新聞は、「ひと」の欄に「干されても香港デモ支持を表明し続ける俳優」として黄秋生を紹介している。それによると、約5年前の香港民主化を求める雨傘運動への警察の弾圧の報に憤り、携帯電話でフェイスブックにデモ支持を書き込むと、それが中国のSNSに転載され、ネットで非難の嵐にあい、「中国で稼いでいるくせに中国を害するな」と批判されたらしい。そして、この日を境に仕事がなくなり、撮っていた中国映画も公開中止になったうえ、関係者から「君のせいだ」と責められ、自身の収入も激減したらしい。それでも、彼は昨年来、香港で再燃したデモへの弾圧に対し、当局批判を続けているそうだ。そのため、そこでは「中国との関係から沈黙する人が多い香港映画界で、まれな存在だ」と紹介されている。この記事を読んで、改めて本作に見る俳優・黄秋生の生きザマに敬服!そして、その心意気に拍手!

2020(令和2)年4月13日記