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草ぶきの学校(草房子/THATCHED MEMORIES)
(1999年・中国映画)

鑑賞 2003(平成15)年11月23日
書く 2003(平成15)年11月25日

文化大革命以前の1962年。舞台は中国江蘇省蘇州の太湖のほとりの美しい農村の小学校。その草ぶきの学校の中で過ごした校長の息子の目を通して語られる、当時の学校の様子とその友達たち。誰もがもっている小学生時代を懐かしく思い出させてくれる心温まる感動作だ。

舞台は1962年の草ぶきの学校

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この映画の舞台は、中国江蘇省蘇州の太湖のほとりの美しい農村。そして、スクリーン上に描かれる油麻地(ヨウマーティ)小学校は、邦題どおりの「草ぶき」の建物。

 太湖に浮かぶ小島につくられたというこの「草ぶき」の学校のセットは、貧しい村とはいえ、南の国の豊かな水と豊かな自然に恵まれた美しい村の中にある。また、油麻地小学校は、生徒数も多く、運動会や演芸大会も盛ん。この点、張藝謀(チャン・イーモウ)監督の名作『あの子を探して』に描かれている河北省赤城県チェンニンパオ村の生徒数28名の水泉(シュイチアン)小学校よりはだいぶん豊かなようだ。そんな、美しく豊かな村と油麻地小学校を舞台に語られる小学校時代の数々の思い出は楽しさいっぱいだ。

原作は曹文軒(ツァオ・ウェンシュアン)のベストセラー小説

この映画の原作は、中国の人気作家、曹文軒(ツァオ・ウェンシュアン)のベストセラー小説『草房子』。これは、彼の小学校時代の思い出をベースとして、9章、7つの物語で構成された小説。この原作に対しては、多くの映画化の申し出があったが、最終的に、南京映画製作所が徐耿(シュイ・コン)監督を中心に手がけることになったとのことだ。

数々の賞を受賞

この映画は、1999年に製作上映されたもの。同時期に製作上映された『山の郵便配達』が一般映画部門の多くの賞を獲得したのに対して、『草ぶきの学校』は児童映画部門の受賞が多く、1999年中国・金鶏賞(児童映画部門)最優秀作品賞、脚本賞、助演男優賞、華表賞/童牛賞/北京大学生映画祭最優秀児童映画賞、脚本賞等の数々の賞を受賞している。

映画に描かれるのは5つの珠玉のエピソード

この映画で描かれるのは原作のうちの5つのエピソードであり、もちろん映画用に脚本されたものだ。

その物語を語る主人公は、小学校の桑喬校長(サン校長)を父親にもつ11才の少年、桑桑(サンサン)で、かなりの腕白坊主。

第1のエピソードは1人の女の子の話。ある日、この小学校に隣村から1人の女の子が通学してくることになった。その女の子の名は、紙月(ジーユエ)。紙月は自分の村の小学校に通うという規則を破って、わざわざ遠い隣村から歩いてこの小学校に通ってくるというのは何か訳がありそう。そして、この紙月は、実は校長先生の子供だという噂が流れて、村は大騒動・・・。

この話をベースとしたうえで、その他には、
②はげ頭の陸鶴(ルー・ホー)のこと、
③優等生で、自転車に乗っている金持ちの息子杜小康(トゥ・シャオカン)のこと、
④蒋(チアン)先生と白雀(パイ・チュエ)さんとの恋愛のこと、
⑤桑桑(サンサン)を突如襲った死ぬかもしれないと思われたほどの奇病のこと、
などが、まるで大人になった今もそのまま正確に記憶されているように、楽しくかつ瑞々しく描かれていく。

 小学生の頃の思い出は誰もが持っているが、その記憶はボンヤリしてしまっているものが多い。だから、これをはっきりと思い出して再現することができれば、どれほど楽しいだろうとつい思ってしまうが・・・。

私の11才の頃

私が生まれたのは1949年だから、11才の頃といえば1960年。この映画で描かれる時代より2年ほど前になる。もちろん日本と中国とでは、全然事情は異なるが・・・。

私が通っていたのは、愛媛県松山市の、家から歩いて15分位のところにあった八坂(やさか)小学校。今、思い返してみても、小学校時代の思い出はいっぱいだ。たとえば、
・低学年の頃、1人の女の子をよくいじめていたこと、
・「朝鮮人」らしき男の子をよくからかっていたこと、
・1人いた「知恵遅れ」の男の子が川遊びの事故で死亡したこと、
・よくスケッチに行き、入選して自慢していたこと、
・少年合唱団に入り、楽しい合宿に行ったこと、・・・etc.

このように、一人一人の観客が自分の小学生の頃を思い出しながらこの映画を観れば、一層興味が増すのでは、と思うがどうだろうか・・・?

面白くかつ感動的なラストシーンは主人公の小便

ラストに語られるストーリーが桑桑の死ぬかもしれないと思うほどの奇病のこと。父親である桑喬校長は、多くの医者から見放された桑桑を背負い、漢方薬の名医を頼って歩いていた。しかし、やっとたどり着いた先生は既に死亡。別の先生を紹介してもらい、道を急ぐ桑喬校長と桑桑。

そんな時、橋のたもとで茶を売っていた老人に道を尋ねると、何とその老人は桑桑の様子を見て、脈を調べ、また、首のつけ根にできた黒いできものを調べてくれた。そして一言、「大丈夫、治るよ」と。天にも昇る思いでこの言葉を聞いた桑喬校長と桑桑に対して、老人は、「並みの苦さじゃない漢方薬だが、これを1日も絶やさず飲むように」と指示した。そしてまた、「覚えておくんだ。その薬を飲むと尿の色が濃くなるが、毒素が出てるせいだ。尿の色がもとに戻れば治った証拠だ。わかったね?」と。その日以降、桑桑は母親がつくってくれる漢方薬を毎日飲み続けた。

 ある日、学校の草ぶきの屋根に登っているのは桑桑。その桑桑が「父さん、見て!早く!」と叫んだ。あわてて桑喬校長が屋根を見上げると、不届きにも桑桑は屋根の上から放尿しているではないか!

 しかし、その尿の色は濃くにごっておらず、透明なもとの色。草ぶきの屋根の上から放尿される桑桑の尿を両手で受け止め、さらに顔に浴びて笑い喜ぶ桑喬校長。多少行儀は悪いものの、何とも感動的な父子のラストシーン。やはり本物はいいね・・・。

2003(平成15)年11月25日記

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